花粉化石濃集のための処理法により組成が歪む事例とその問題点
花粉化石濃集の処理手順により組成が歪むことは、同じ試料を複数の専門家が分析することが無いかまたは稀なためほとんどの人は認識していないと考えられる。著者はウルシ花粉の産出状況を明らかにするために、既存の花粉分析結果でウルシ属が比較的多く産出し、堆積物(ブロック試料やボーリングコア)が保管されていた試料を用いて再分析を行ったところ、先行調査と花粉組成が大きく異なる事例がみられた。花粉組成の歪と処理法との関係から、分離処理が花粉組成に大きな影響を与えることがわかった。花粉分析の再現性と信頼に関する重要な問題であり、概説書の処理法にも問題があるため具体的な事例を示し注意喚起する。なお、問題のある分析については以下ではTPR、WPRと仮称した。
事例1:埼玉県春日部市神明貝塚
埼玉県春日部市神明貝塚周辺の低地のボーリング試料において同層準(図1のA~F)の花粉分析がTPR(2018)と吉川(2018)で行われている。花粉化石濃集の処理法は、TPR(2018)はKOH、篩別(250μm篩)、比重分離、HF、アセトリシス法の順で行い、グリセリン封入しているが計数方法の記載はなかった。吉川(2018)はA,B,C,D,FはKOH、傾斜法で砂除く、HF、アセトリシス法の順で、EのみHF処理の後に比重分離を行って、それぞれグリセリンで封入しプレパラート全面を計数した。したがって、処理の違いはA,B,C,D,Fは比重分離を行ったかどうか、Eは比重分離の前処理の違いである。なお、吉川(2018)に記載ない部分を補足すると、遠心分離は2000rpm(遠心力649xg)で5分間、封入は残渣をタッチミキサーで攪拌しマイクロピペットで採取した。
A~Fの6層準における樹木花粉組成は、A,B,C,D,E試料ではクリ属の出現率が異なり吉川(2018)は2~20%(平均10%)に対し、TPR(2018)は1~3%(平均1%)と低率であり、ブナ属やニレ属-ケヤキ属(主にケヤキ属型)、マツ属は相対的にTPR(2018)の方が幾分高かった(図1)。Fは吉川(2018)ではコナラ属コナラ亜属やハンノキ属が高率を占め、ハシバミ属やニレ属-ケヤキ属が比較的多く占めるのに対し、TPR(2018)ではマツ属が優占しツガ属やモミ属、トウヒ属で大半を占め、ハンノキ属を除く広葉樹は低率かまたは出現しないなど全く異なった花粉組成を示した。また、TPR(2018)は深度730-740㎝の層準(36671-38002 cal BP)でもマツ属やトウヒ属などの針葉樹が優占しており、F試料の深度570-598㎝の間で冷温帯落葉樹から亜寒帯針葉樹への変化があったわけでない。つまり、TPR(2018)は吉川(2018)に比べクリ属のような粒径が小さい花粉が過小に、マツ属やツガ属などの粒径が大きな花粉が過大に評価されている。薬品処理や水洗における遠心分離に問題がないと仮定した場合、吉川(2018)はEを除いて分離処理を行っていないため特定な粒径の花粉が消失することは考え難い。一方で、TPR(2018)は比重分離を行っており一部の花粉が消失する可能性があり、花粉組成の違いは比重分離とその前処理に原因があると推定される。
事例2:東京都東村山市下宅部遺跡
東京都東村山市下宅部遺跡の花粉分析は、PAPR(2006)と吉川・工藤(2014)で行われており、河道S24地点(黒褐色有機質細粒砂質シルト)と4号トチ塚(オリーブ黒色極細粒砂質シルト)が同地点であった。クリ属の比率は、河道S24地点ではPAPR(2006)は1~4%で吉川・工藤(2014)は8~18%、4号トチ塚ではPAPR(2006)は8%(トチノキ11%)で吉川・工藤(2014)は17%(トチノキ30%)であった。処理法は、PAPR(2006)はKOH、比重分離、HF、アセトリシス法の順、吉川・工藤(2014)はS24ではKOH、傾斜法、HF、アセトリシス法、4号トチ塚はKOH、傾斜法、HF、比重分離、アセトリシス法の順であった。2地点ともPAPR(2006)ではクリ属花粉が過小に評価され、比重分離の前処理の違いによっても出現率がかなり異なっていた。トチノキも小さいタイプの花粉であり、クリと同様にPAPR(2006)では過小評価されており、KOH処理のみでは試料の分散が不十分であったと考えられる。
比重分離の前処理の問題
花粉化石の濃集は、KOHによる堆積物の分散と腐植の溶解,HFによるケイ酸塩鉱物の溶解と分散,アセトリシス法による植物質粒子やセルロースの溶解の基本処理であれば問題ない。泥炭のような花粉化石が多量に含まれている試料はこの方法のみで濃集できる。一方で、花粉量が少ないと傾斜法(椀がけ処理)や篩別、比重分離などで花粉を濃集する。傾斜法は砂分を除くのであれば問題ないが、粗粒なシルトの除去は残渣に花粉化石が残留していないか確認が必要である。比重分離は前処理で堆積物が十分に分散していないと堆積物塊やそれら大きな粒子にひきずられて一部花粉が沈積する。十分に分散していない試料の比重分離処理の影響は、前述の神明貝塚などの事例からは花粉粒が小さいほど大きくクリのような小さな花粉の出現率が低く評価される。
また、山口ほか(1997)はマーカー・グレインを用いた絶対花粉量分析法を検討し、HCl、KOH、比重分離(塩化亜鉛)、アセトリシス法の順に処理し、回収率はマイクロスフイア(直径25μ、比重1.3)で46~86%、アメリカフウで0~83%であった。アメリカフウについては比重分離の沈積物の一部に多量に含まれていたため、堆積物中に含まれていた何かが化学的に作用しアメリカフウの挙動が違ったと解釈している(山口ほか,1997)。しかし、アメリカフウの回収率が極めて悪い試料ではマイクロスフェアも46~65%と低いことから、化学的作用よりも前述の事例からは試料が十分に分散していないため堆積物塊またはそれら大きい粒子にひきずられ沈降した可能性が推定される。つまり、比重分離の前処理はKOHのみでなく、砂除去やHF処理などを行って試料を十分に分散しておかなければならない。また、沈積物に花粉が含まれているどうかの確認も必要である。
花粉分析概説書等ではKOH処理後に比重分離を行う方法が多くあり注意を要する(中村,1967:塚田,1974::Moore & Webb,1978:三好,1985:楡井・那須,2000:松下,2004など)他方、Faegri
& Iversen (1989)はHF処理が効果的でない場合の手段とし、日本花粉学会編(1994)はKOH、HF、アセトリシス法の後に比重分離の選択肢が示されており問題ないと考えられる。また、KOH処理後に比重分離を行った論文が散見されることから、粘土やシルトの無機物を主体または比較的多く含む堆積物の分析結果は注意を要する。誤解のないように再確認しておくと、比重分離は前処理による試料分散の状態が影響し、前処理がKOHのみでは不十分な場合が多く、加えてHF処理等を行い十分に分散していれば問題ない。
独自の処理法による問題
他に独自の方法により花粉組成が歪んだと推定される事例がある。富山県射水市南太閤山Ⅰ遺跡では橋本・徳永(1986)、WPR(2023)、能城・吉川(2023)で花粉分析が行われており、このうちWPR(2023)は他と異なりクリ属やヤナギ属などの小さなサイズの花粉が全く検出されていない。WPR(2023)は、徳永・橋本(1986)の花粉組成でハンノキ属とクリ属、ブナ属が比較的多く産出し一部層準でヤナギ属が突出した要因について、クリ属やヤナギ属花粉が比較的散布域が狭い種類であるため違いが生じたとしている。しかし、能城・吉川(2023)ではクリやヤナギ属はWPR(2023)の調査地点から東側、西側、南側方向に約7~11m離れた地点で検出されており散布域が狭いのみでは説明できない。
クリの短径(赤道径)は約10μm、ヤナギ属の短径は約17μmといずれも花粉粒が小さなタイプであり、WPR(2023)で検出されなかった分類群は花粉粒の短径が小さいタイプにみられる。能城・吉川(2023)ではクリはコナラ属コナラ亜属次いで多く検出されており、WPR(2023)で1個体も検出されていないことは理解し難く、花粉化石濃集の処理によって小さなサイズの花粉が消失したことが示唆される。WPR(2023)は独自の処理(振動篩と沈降法による細粒物質除去)を行っており、この処理が関係しているかどうは未確認であるが、独自の処理を行う場合は細心の注意が必要である。なお、独自の処理を行っている分析者はその後の分析では初出論文を引用しているが、処理法は結果の評価に重要であるためその都度記載すべきである。
処理には細心の注意が必要
守田(2012)は「堆積物中の化石花粉は、多かれ少なかれ選択的な流入、堆積、分解を経ているので、花粉分離処理過程で多少化石花粉を逃がしたとしても、一部選択化が起きたことと同じ。粒径が極端に大きい、あるいは小さいなど特定の種類の花粉出現率が低下する可能性は否定しないが、その花粉が全くゼロになるわけではない。花粉分析では上下の花粉の変動を見ることから、一連の試料で処理方法が統一されていれば問題は少ないと思われる」としている。
しかし、処理法の違いは守田(2012)の想定以上の組成変化を示しており、事例のようにクリ属のような粒径が小さい花粉が過小に、マツ属やツガ属などの粒径が大きな花粉が過大に評価されたこと、特殊な事例であるが近接した地点の一方でクリが多く産出し他では全く検出されなかったこと、加えて処理方法が統一されているため組成の歪は各試料で起こり全く異なった花粉組成の変化を示す。花粉組成が僅かな歪に留まるのであれば守田(2012)の評価のように問題は少ないかもしれないが、最悪な事例はコナラ亜属を主とする冷温帯林がマツ科を主とする亜寒帯林になり、またクリを含まない植生になることからも看過できない。このように花粉化石濃集の処理は、顕微鏡観察による同定・計数より前に花粉組成に大きな影響を与えている場合があり、常に注意して分析にあたる必要がある。 (2025.05.30)
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